ドラえもん展に行って感動した話

先週の土曜日、岡山市立美術館で開催されていたドラえもん展に行ってきました。

thedoraemontentokyo2017.jp

会社の同僚と初めて二人で飲みに行った翌日だったので、コンディションは悪く、その上ドラえもんにそこまで思い入れは無かった人生なので、わざわざこのオレ様が貴重な休日を使って子どもたちを連れて行ってやるんだという上から目線で行って参りました。

 

上のリンクからでも確認できますが、まずもってポップです。
ドラえもんの世界観に更にハチミツと砂糖をまぶしたガキ向けの展覧会かと思ってました。

確かに序盤はイメージ通り、ポップ、カラフル、にぎやかといったわかりやすい作品が並んでおりました。加えるなら、ドラえもんのび太か?)の家、学校、空き地の世界観って、いかにもな昭和のノスタルジアと言いますか、特にあれらの建築物と夕焼けが組み合わさったシーンって、わざとらしくないですか?ちょっとせつない気分になってくださいね、みたいな。わざとらしいですよね?特に、桜の花びらが舞い散る中、ドラえもんが向こうを向いてとぼとぼ歩いている映像作品もあったり、なんかこう、こちらに考えさせる仕掛けというか、その手法自体にわざとらしさを感じて、しらけました。

一旦しらけるとまぁ集中できない人間ですから、周りをキョロキョロしたり、来なければ良かったなんて表情に出したり、周囲に気に食わない態度があからさまに出るので、先生方から随分と嫌われていた学生生活でした。

そんな流れで周りをキョロキョロしていたら、思ってた客層とはちょっと違うことに気づいたんです。うちみたいな家族連ればかりじゃねえぞと。意外と年配の夫婦、若いカップルなど思ってたより全然幅広い客層だったんです。あと、言い忘れてましたが、激混みでした。午前中に行こうと思ったけど、近くの駐車場が全部埋まっていて、わざわざ早くお昼ごはんを食べて、混みの時間をずらしてようやく入れたくらいでした。

 

つまり、コロナに関わらず、こんなに幅広い客層と人数の集客力に驚いたわけです。これってすごくないですか?


ドラえもんって我々が産まれたときからあった国民的アニメで、それが次の代になっても、全く勢いを失っていないわけです。原作は1969年開始らしいので、3世代に渡ってレジェンドの座を維持し続けているわけです。
人気の面からしても驚きますが、もっと驚いたのは、その中身と言いますか、3代に渡ってレジェンドの座を維持し続けているものとして、今ぼくは読売巨人軍を思い浮かべたわけですが、ジャイアンツと圧倒的に異なるのはその中身です。コンテンツです。
ドラえもんを見て育った3世代の日本人って、「ドラえもん的道徳観」を共有してるんですよね。それはつまり、ダラダラしてるとうまく行かないのび太的道徳だったり、強者に弱く弱者に強いスネ夫的道徳だったり、お前の物はおれの物・おれの物はおれの物的ジャイアニズムだったり、こういった価値観が反面教師として(←ここめっちゃ強調したい)ここ3世代に渡って全ての日本人に共有されているってめちゃくちゃすごくないですかね???


学校の道徳教育とは別で、日本人の道徳観にものすごい影響を与えているのがドラえもんなんですよつまり!普段からアンチ日本的な思想・発言で周囲をうんざりさせているぼくですが、諸外国の皆さんはドラえもん抜きにどうやって道徳を身に着けているんだ??って思うわけです。ドラえもんの穴はでけえぞ!って思ったわけです。

そして更に同時に思ったんですが、このドラえもん的道徳観を共有している人間に囲まれている社会って結構健全じゃないですか?間違いなく言えるんですけど、このドラえもん展に来ている(クソ暇な)一部の日本人だけがドラえもん的道徳を有しているんじゃなくて、繰り返しますが、ここ3世代に渡って全ての日本人にドラえもん的道徳が共有されているんですよ!

自分の地元が嫌い、実家が嫌い、ひいては日本が嫌いと言った思想で海外に出てしまうと、いろんなシガラミから開放されるメリットは確かに大きいです。一方、自分の人生において、拠る場所の無さ、所属するコミュニティの血の薄さ、あ、今これ良い言葉思いつきましたよ僕。コミュニティの血が薄いんですよ、ぼくみたいな人生を送ってると。もしイメージつかなければ、家族とか、地元の付き合い思い浮かべてください。べっとりと濃い血に基づいてますよ。これに居心地の良さを覚える人もいれば苦しむ人もいる。ぼくは後者だったわけですけど、そこから開放されても、他人から根無し草と呼ばれたり、家族いるのにフラフラしやがってと軽蔑されたり、とにかく「自分を取り囲む自分のルーツとなる血が極端に薄い」んです。でもそれはもう取り返しはつかないし、自分の選んだ道だから後悔することは無いとしても、たまに苦い記憶として蘇ったりするんですよね。

でも、こうしてドラえもん展で日本人だけが共有するドラえもん的道徳の存在に気づいて、比較的大きな枠組みの中で自分はやっぱりコミュニティに存在しているんだ(たとえ血が薄くとも)ということに気づけたことって、めちゃくちゃポジティブな感動を覚えたんです、というお話でした。