リバティーンズの話

せっかくなので、誰にも言ってないすげー気持ち悪い話を書かせてください。

今現在のぼくとしては、だいぶ症状がおさまってる方でして、ずいぶんと気を楽に生活しています。
じゃあ気が楽で無かった時の生活と言えばなんだったかというと、中学・高校の時が、思春期真っ只中すぎて、それはそれはキツかったわけであります。
なんだろう、(今もですが(これ強調したい))ふざけたり、冗談言ったり、友達と明るくコミュニケーションできることは変わっていませんが、1人になったときの絶望感みたいな、悲観的な、大真面目に自分を傷つける考え方をするみたいな、バカの極みです。

これ最近気づいたバカの典型例なんですが、基本的には客観的な事実に基づいて判断できるのに、自分のこととなると急に客観的事実はどこに行った?と言わんばかりに主観的に判断してしまうことがあります。自分なんか生きる価値は無い、父親として失格だ、みたいなやつです。これってバカの極みだと思います。

で、で、話戻るんですけど、高校生のときに本当にナイーブ過ぎてしんどいときがあったんですよね。ストレス性の口唇ヘルペスにかかるくらいです。(これ本当の話なんですが、笑うところです)

そういうときに出会ったのがThe Libertinesだったわけです。

ぼく、中学生のときは、ヘビーメタルばかり聞いてまして、流行りの音楽にうとかったんですけど、高校に入ってから、主にイギリスの流行りの曲を聞くようになりました。音楽雑誌の影響だった気がします。

いやー、衝撃だったんですよね、リバティーンズは。ツインギターボーカルで、(しかもふたりとも格好いい)日本のとは違うんだけどグッド・メロディで、ギターは下手なのにドラムベースは安定してて、不良なのにピュアなのにドラッグ中毒、みたいな、厨二心をくすぐるにはうってつけのバンドだったわけです。

〉ゆうへいさんがリバティーンズになったとしても大丈夫です!😂

これ、よくここ突いて来たなってくらいの、スーパーフレーズなんですよね。

改めて今調べましたけど、

libertine とは

  1. 1道徳的[性的]に束縛されない人;放蕩ほうとう者,放埒ほうらつ者,道楽者
  2. 2(宗教上の)自由思想家

これ!これこれ!これこれ!!
結局、ぼくの人生を救ってくれたのってこのバンド名だったわけなんですよね!
いや、自由でいいじゃん!何をそんなに堅苦しく考えてるんだ?ってことです。これは18、19からずーっとぼくの哲学で有り続けていることです。

 

当時、スロットで儲かった友達にZippoを買ってもらいました。
お店の人に「何か刻印できますけどどうしますか?」と言われて、
”Libertine”と彫ってもらいました。

本当はもっともっと気持ち悪い話あるんだけどここまでで勘弁してください。

 

拝金主義の成れの果て

予想外だったことが、かなりマジメに長文で返信を頂いてしまったことです。
われわれの意外な共通点って「無駄なところで相手に気を使ってしまう」ところだと思いませんか?せっかく長いドラえもん展のポエム書いてくれたんだから、それ相応に感想かかなきゃ。そう思っていたでしょう?
そうなると、次はぼくの返信の番ですが、ぼくもやっぱり「無駄なところで相手に気を使ってしまう」ので、長文で返事を返してしまう。それのリレーって意味があるようで、結局のところどうなんだ?

 

こんなことグダグダ考えていたら、割とどころではない、ぼくにとってかなりデカめの、ハイリスクハイリターンな仕事が舞い込んで来たので、返信どころの場合ではなくなってしまったのです。
今回ばかりは自分自身に負けてしまうかと思いました、今回ばかりは。3週間がかりで終わらせた仕事でしたが、身も心も結構ボロボロになりました。もちろん自分には負けませんでしたが、再来週に結果が出るので結構ドキドキしています。
返事が遅れてしまってすみませんでした。

 

>今晩は!ゆうへいさんに送るネタがないかと毎日探しながら生活していますが、何も見つからない日々です😂
これも「無駄なところで相手に気を使ってしまう」典型的な例だと思います。「ネタじゃないと、オチが無いと聞く価値が無い」なんてぼくが思っている訳ないですよね。むしろどうでもいい日常のことも教えてくれたら良いのに。むしろそのどうでもいい日常に、おれが何か付け加るから、おれに任せろ!って感じです(かっこいい)

むしろ、ぼくが格好つけてネタ的なことばかり送るから悪いのかもしれません。
(この文章を書いて気づきましたが、ここでぼくの「無駄なところで相手に気を使ってしまう」が発動しました。ネタ的なことばかり送っても別に悪くないよ!って思ってくれていることでしょう)

なので、一昨日の土曜日の出来事を、ネタ的じゃなく、あるがままに話します。
DIR EN GREYってバンド知ってますか?(知ってますよね?)
ぼく、どんなバンドより、どんなラッパーより、乃木坂46よりマイケルジャクソンよりKing Gnuより、なんならビートルズよりも!そして、そいつら全部足したよりも、DIR EN GREYってバンドが一番最高に好きなんですよね。かれこれ20年全く飽きずに聞き続けています。ビートルズより好きって、やばくないですか?自分でも驚きます。

そのDIR EN GREYがですね、6/15にアルバムを出して、6/25に広島にライブに来たんです。
ライブの最後の最後の曲のサビが「誰のために生きる?誰のために生きるのだろう?」って歌詞なんですが、その後「お前ら自身のためだろ!!!生きろ!!!!」っていうアドリブでのシャウトがあったんですよね。おじさん、それには泣きましたね。

↓その曲(ちょっと昔のなんでそのシャウトは無いです)

www.youtube.com

 

そうそう、拝金主義の話には驚きました。たしかに子供にお金のことを教えるのって大事ですよね。ぼくはよくわからないのであまり教えられそうにないですが・・・。
人間って誰でも◯◯主義があると思うんです。地元主義、都会主義、友達に合わせる主義とかもあるでしょうし、英語できる奴が偉い主義とか、色々ありますよね。気になったのが、子どもが拝金主義通りに育った場合、それとは真逆の人間、つまり貧乏人に対してどういう感情を持つんでしょうね?上に挙げた◯◯主義も、反対の人間に対して線を引いて、おれとお前とは違う人間なんだ!って思ってしまったら、結構悲しいことかなって思いました。

こんだけぼくが勝手に自分語りしたら(いつもか?いつも通りだな)、りほさんも遠慮しないで、全然ネタ的でない・オチの無い話しやすくなったりしませんかね?
(くれぐれもこのポエムの文章量に相応の長文の返信はいりませんよ!)

あーひとつ書き忘れていましたが、ぼくは自己責任主義です。自分自身に対してもそうですが、子どもに対しても自己責任を求めます。子どもは小さいといっても、息子は今6歳で、ある程度の自己責任の範囲ってあると思うんです。
例えば、ミャンマーにいたときも、息子は当時3歳でしたが、外に出かける時に右と左で別々の靴を履いてしまったことがありました。でも、それは本人の選択の結果なので、そのまま出かけたことを覚えています。

もう一つ実例ですが、髪型は本人の自由で自己責任です。いつも近所の1000円カットに行きます。メンズヘアカタログみたいな本を渡して、自分で好きな髪型を選ばせて、自分で店員に伝えさせます。これはぼくの思う自己責任主義の実例のひとつです。

先週の話ですが、髪を切るタイミングだったので、1000円カットに連れていきました。道中、車内で「今日どんな髪型にするの?」と聞いたら「あばれるくんの髪型にする!」と息子は答えました。おれを試してるのか?と思いました。せっかく、おれに似ないでサラサラストレートヘアなのに、ビートルズみたいなマッシュルームカットしててかわいいのに。よりにもよってあばれるくんかよ。親を試しているのか?と思いました。(念の為補足ですが、あばれるくんは日曜朝のポケモンの番組に出ており、全国のキッズ達から相当人気が高い。息子の選択はある意味正しい)
お店についてメンズエアカタログを渡しても意見は変わりませんでした。
なんなら「なんで本にあばれるくんの髪型無い?」と聞いてきたので「人気無いからだよ。周り見てみなよ。あばれるくんの髪型してる奴なんかいないだろ?それでもいいの?」と聞きました。息子は「それでも良い」と答えました。

ついに髪を切る番で呼ばれました。もちろん1人で行かせました。イスに座ってエプロンをかけられて、いよいよ切るという状況で、お店のおばちゃんが「ぼく、今日はどんな髪型にするの?」と聞いたら、息子は「あばれるくんの髪型にしてください!」と言いました。おばちゃんはとても驚いていました。「え?あばれるくん?」と小さな叫びが聞こえました。おばちゃんはもう訳がわからなくなって、小走りでぼくの方に来て「お子さん!あばれるくんの!髪型にしたいって言ってます!大丈夫ですか!?」
半ば焦燥した様子でぼくに尋ねました。
「本人が決めたことだからそれで良いです。」と答えました。
無事、丸刈りになりました。

 

 

ドラえもん展に行って感動した話

先週の土曜日、岡山市立美術館で開催されていたドラえもん展に行ってきました。

thedoraemontentokyo2017.jp

会社の同僚と初めて二人で飲みに行った翌日だったので、コンディションは悪く、その上ドラえもんにそこまで思い入れは無かった人生なので、わざわざこのオレ様が貴重な休日を使って子どもたちを連れて行ってやるんだという上から目線で行って参りました。

 

上のリンクからでも確認できますが、まずもってポップです。
ドラえもんの世界観に更にハチミツと砂糖をまぶしたガキ向けの展覧会かと思ってました。

確かに序盤はイメージ通り、ポップ、カラフル、にぎやかといったわかりやすい作品が並んでおりました。加えるなら、ドラえもんのび太か?)の家、学校、空き地の世界観って、いかにもな昭和のノスタルジアと言いますか、特にあれらの建築物と夕焼けが組み合わさったシーンって、わざとらしくないですか?ちょっとせつない気分になってくださいね、みたいな。わざとらしいですよね?特に、桜の花びらが舞い散る中、ドラえもんが向こうを向いてとぼとぼ歩いている映像作品もあったり、なんかこう、こちらに考えさせる仕掛けというか、その手法自体にわざとらしさを感じて、しらけました。

一旦しらけるとまぁ集中できない人間ですから、周りをキョロキョロしたり、来なければ良かったなんて表情に出したり、周囲に気に食わない態度があからさまに出るので、先生方から随分と嫌われていた学生生活でした。

そんな流れで周りをキョロキョロしていたら、思ってた客層とはちょっと違うことに気づいたんです。うちみたいな家族連ればかりじゃねえぞと。意外と年配の夫婦、若いカップルなど思ってたより全然幅広い客層だったんです。あと、言い忘れてましたが、激混みでした。午前中に行こうと思ったけど、近くの駐車場が全部埋まっていて、わざわざ早くお昼ごはんを食べて、混みの時間をずらしてようやく入れたくらいでした。

 

つまり、コロナに関わらず、こんなに幅広い客層と人数の集客力に驚いたわけです。これってすごくないですか?


ドラえもんって我々が産まれたときからあった国民的アニメで、それが次の代になっても、全く勢いを失っていないわけです。原作は1969年開始らしいので、3世代に渡ってレジェンドの座を維持し続けているわけです。
人気の面からしても驚きますが、もっと驚いたのは、その中身と言いますか、3代に渡ってレジェンドの座を維持し続けているものとして、今ぼくは読売巨人軍を思い浮かべたわけですが、ジャイアンツと圧倒的に異なるのはその中身です。コンテンツです。
ドラえもんを見て育った3世代の日本人って、「ドラえもん的道徳観」を共有してるんですよね。それはつまり、ダラダラしてるとうまく行かないのび太的道徳だったり、強者に弱く弱者に強いスネ夫的道徳だったり、お前の物はおれの物・おれの物はおれの物的ジャイアニズムだったり、こういった価値観が反面教師として(←ここめっちゃ強調したい)ここ3世代に渡って全ての日本人に共有されているってめちゃくちゃすごくないですかね???


学校の道徳教育とは別で、日本人の道徳観にものすごい影響を与えているのがドラえもんなんですよつまり!普段からアンチ日本的な思想・発言で周囲をうんざりさせているぼくですが、諸外国の皆さんはドラえもん抜きにどうやって道徳を身に着けているんだ??って思うわけです。ドラえもんの穴はでけえぞ!って思ったわけです。

そして更に同時に思ったんですが、このドラえもん的道徳観を共有している人間に囲まれている社会って結構健全じゃないですか?間違いなく言えるんですけど、このドラえもん展に来ている(クソ暇な)一部の日本人だけがドラえもん的道徳を有しているんじゃなくて、繰り返しますが、ここ3世代に渡って全ての日本人にドラえもん的道徳が共有されているんですよ!

自分の地元が嫌い、実家が嫌い、ひいては日本が嫌いと言った思想で海外に出てしまうと、いろんなシガラミから開放されるメリットは確かに大きいです。一方、自分の人生において、拠る場所の無さ、所属するコミュニティの血の薄さ、あ、今これ良い言葉思いつきましたよ僕。コミュニティの血が薄いんですよ、ぼくみたいな人生を送ってると。もしイメージつかなければ、家族とか、地元の付き合い思い浮かべてください。べっとりと濃い血に基づいてますよ。これに居心地の良さを覚える人もいれば苦しむ人もいる。ぼくは後者だったわけですけど、そこから開放されても、他人から根無し草と呼ばれたり、家族いるのにフラフラしやがってと軽蔑されたり、とにかく「自分を取り囲む自分のルーツとなる血が極端に薄い」んです。でもそれはもう取り返しはつかないし、自分の選んだ道だから後悔することは無いとしても、たまに苦い記憶として蘇ったりするんですよね。

でも、こうしてドラえもん展で日本人だけが共有するドラえもん的道徳の存在に気づいて、比較的大きな枠組みの中で自分はやっぱりコミュニティに存在しているんだ(たとえ血が薄くとも)ということに気づけたことって、めちゃくちゃポジティブな感動を覚えたんです、というお話でした。